いろいろな人、いろいろなタイプの良心を探りながら、自分の良心の成長を模索する。

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徳之島 ~ 島の選挙 1

 オリンピックのように4年に一度行われる島の町議会選挙は、もちろん町、また島をあげての大行事となる。
 ご存じの方もいるかもしれないが、以前は徳之島を含む奄美諸島は国政選挙の時には奄美群島区で定数1を争う選挙激戦区であった。保岡興治と徳田虎雄の「保徳戦争」と言われた選挙は確かに激しい戦いであったようだ。酒好きな島民の性格のせいか何しろ喧嘩が多かったようだ。
 二つに分かれた政治勢力構図の中での町議会選挙だから、もちろん、候補者も保岡派と徳田派に分かれる。そして町民も固定支持者たちは必死に自分たちの候補者を応援するのだ。
 しかしこの「保徳戦争」が起こる前からすでに血の気の多い選挙をしていたように思う。私が小学生、中学生の時からおじいちゃんは選挙に出ていたから、1976年と1980年の選挙の応援に行ったのだと思う。
 大人たちが忙しそうに家に来てはどこかに出て行き、また来ては興奮して何かを話すので、私も何か手伝いたいのだが、何もすることがない。母親やおばたちは台所で、家にひっきりなしに来る応援者や支持者の人たちに出すおにぎりを作っていた。青森から応援に来ているおば(おじいちゃんの三女)は、声と見た目が良いという理由だと思ったがウグイス嬢をしながら町内を回っていた。
 何かしたくてしかたない私にとうとう仕事が回ってきた。おじいちゃんを応援したいという孫の気持ちを汲んで、無理やり作った仕事かもしれなかったが、私はいやに責任感を持って始めた。
 それは一日の選挙運動が終わり夜になってから、家の前に安い三折りの寝椅子を持ち出してそこに寝転がり、たまに通る車のナンバーを確認するというものだった。車のナンバーで誰が通ったかがわかり、またおじいちゃんの家は県道から中に入る高台にあるので、後ろには数えるくらいしか家はない。それで誰が後ろのご近所を訪ねてきたかをチェックすると言うのだ。
 私は何か重要な任務を任されたかのように真剣に通る車をチェックしていた。しかし県道ならまだしも県道から中に入ってくる細道を夜に通る車などほとんどない。近所に行くのなら懐中電灯を持って歩いて行く。
 私のこの初任務は何日もたたないうちに自然消滅してしまった。あまりにも通る車が少なすぎてつまらなくなってしまったのだ。しかし暑い選挙の夏は始まったばかりだ。
(続く)
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Author:heban
東京都出身
43歳

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