いろいろな人、いろいろなタイプの良心を探りながら、自分の良心の成長を模索する。

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2002年ワールドカップ日韓共同開催 3

 私はサッカーの応援どころではなくなった。私の周りにいる日本の友人に聞いた。いろいろな人に聞いた。みな自分と同じように、韓国人に憎しみをぶつけられるような体験をしたのではないかと思ったからだ。しかし聞いた人たちはみな、私ほど深刻ではなかった。「そこまで深刻に考える必要はない」とか、「まあ、いつものことじゃない」と言った反応だった。旦那さんが韓国人の日本人の奥さんも「うちではあんまりそんな話はしないかな」と言った感じで、誰も私の悔しさを共有できそうな人はいなかった。
 家で私は何んでもなかったように振舞いながら着実に言葉数が減った。街中では、
「タタンタ、タンタン テーハミング!」のかけ声とともに、時折
「イルボン チラ(日本負けろ)」の声も聞こえる。
 ベスト16が出そろって、日本も韓国もベスト16に入ったところからその声は大きくなっていった。
 ちょうどその頃、スンシという語学堂で一緒に学んだ在日韓国人の友人がソウルの私たちのうちに遊びに来たいという。彼女とはチャンスクも入れて3人で語学堂時代によく遊んだ仲だったので大歓迎だった。スンシはスポーツが好きなうえに日韓共同開催のワールドカップとあってひときわ喜んでいるように見えた。彼女は日本で応援して、まず釜山に行ってサッカーの試合を観戦し、その次に大邱で試合を応援、そしてソウルまで上がってくるという熱の入れようだった。
 スンシが私たちの家に来た。最初、当たり障りのないワールドカップの話で盛り上がった。彼女もソウルでは忙しくあちこちを歩き回った。
 彼女が来て何日目だろうか。私はダイニングキッチンでスンシと夕飯を食べながらいつもと同じようにワールドカップの話をしていた。そこにチャンスクやセジンも集まって来て、いろいろな話になっていった。私は冗談を言うように軽く、
「彼ら(韓国人)は日本負けろと言うんだよね。日本では韓国負けろって言っているの?」と聞いた。
 スンシは直接は答えなかった。チャンスクとセジンはそれに反論するというより、そんなの当たり前だという趣旨のことをあっさりと言った。重い空気ではなかったが、私がその話をふっておきながら、話が進むうちにだんだんと悔しさがこみ上げてきた。
 突然、私は泣き出してしまった。そして自分の部屋に入って行った。びっくりしたスンシも私のあとを追って部屋に入って来た。そこで私は今までの胸に詰まっていたすべてをスンシに話した。彼女なら韓国人の言い分だけでなく日本人の言い分もわかってくれるのではないかと思ったのだ。そして彼女の答えを聞きたかった。
 話がまだ終わらないうちに、いつもと違う私の様子にうろたえて、私の部屋に入って来れないでいたチャンスクとセジンがおそるおそる部屋のドアを開けて、
「ごめんね、オンニ。そんなに思いつめているなんて思わなかったんだよ」とボソボソと言った。
 私はそれを無視してだまっていた。バツが悪くなり二人が首をひっこめると私は静かにドアをしめてまた話し続けた。そして話は終わたが、スンシは何も答えなかった。とちょうどその時またもやドアが開いたかと思うと今度はチャンスクが、大声で、
「自分は日本の味方でもなく、韓国の味方でもなく、オンニの味方だ!」
 と勢いよく言い放って、バタンと自分でドアを閉めた。
 私はスンシに今までのことをすべて話して少し気分が落ち着いて来ていたが、彼女の言葉にずたずたになっていた信頼感は少しずつだがよみがえろうとしていたようだった。
 その後のことはよく覚えていない。テレビをつけてテレビを見たような気がするが、一緒に見たのか別々に見たのか覚えていない。しかしそれから私は街中で、
「イルボン チラ」と誰かが叫んでも以前のような胸の痛みは感じなくなった。
「あなたたちは日本人の友だちがいないからそんなことを言っているのだ。親しい、信頼しあえる友だちがいないからそんな軽々しく人を罵倒する言葉をはけるんだ」と、かえって韓国という枠を越えられない小さい存在のような印象を持つようになった。私はひそかに友人を誇らしく思えるようになっていた。私には国を越えた友だちがいるんだぞという自負心が生まれているようだった。
(続く)
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Author:heban
東京都出身
43歳

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