いろいろな人、いろいろなタイプの良心を探りながら、自分の良心の成長を模索する。

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神谷美恵子 3 略歴

1914年 岡山に生まれる(父は戦争直後、文部大臣となった前田多門。母は群馬県富岡の富豪金沢家の三女、房子。兄はフランス文学者の前田陽一。そして二人の妹と弟が一人いる)
1920年 東京、下落合小学校に入学。
1921年 聖心女子学院小学部に編入する。
1923年 父多門がジュネーブの国際労働機関の日本政府代表に任命され、家族そろってジュネーブで暮らす。ジャン・ジャック・ルソー教育研究所付属小学校へ編入する。その後、ジュネーブ・インターナショナル・スクールへ進学。
1926年 家族全員帰国する。自由学園に編入するが、学風が合わず登校拒否を起こし、数か月後に成城高等女学校へ転校する。
1932年 成城女学校を卒業すると津田英学塾に入学。
1934年 叔父(金沢常雄)に誘われて多磨全生園を訪れ、強いショックと感動を覚える。ハンセン病患者に接する医師になろうと決意する。
1935年 津田英学塾大学部へと進学する。結核に侵され軽井沢で療養生活をする。
1938年 アメリカ、コロンビア大学、大学院でギリシヤ文学を学ぶ。
1939年 クエーカー教徒が創設したペンドル・ヒル学寮に移る。
1940年 帰国
1941年 東京女子医学専門学校本科へ編入学。
1943年 長島愛生園へ行く。
1944年 東京女子医学専門学校卒業。東京大学精神科医局に入局。
1945年 終戦と同時に父親が文部大臣に就任し、文部省で通訳・翻訳業務に従事する。
1946年 神谷宣郎(当時、東大理学部講師)と結婚する。
1947年 長男、律 誕生
1949年 次男、徹 誕生。マルクス・アウレリウス『自省録』翻訳出版。
1950年 アテネ・フランセでフランス語を教える。
1951年 芦屋に転居。愛真聖書学園分校として自宅でフランス語を教える。神戸女学院大学の非常勤講師になる。
1952年 大阪大学医学部神経科に研究生として入局。カナディアン・アカデミーでフランス語を教える。自宅でフランス語の私塾を開く。
1954年 神戸女学院大学助教授に就任(英語・英文学)
1955年 母親房子死去。初期癌が発見されラジウム照射で治療。神戸女学院大学で非常勤講師としてフランス語、精神衛生を教える。
1957年 長島愛生園の非常勤職員としてハンセン病の精神医学的調査を行なう。
1960年 大阪大学より医学博士の学位授与。神戸女学院大学社会学部教授に就任。『生きがいについて』の執筆を始める。
1962年 父親多門死去。大阪大学助産婦学校で精神医学を教える。
1963年 津田塾大学教授に就任(精神医学と上級フランス語)。四国学院大学でも非常勤講師として精神衛生の講義をする。アメリカ、イギリス、フランスへ海外視察。
1965年 長島愛生園精神科医長となる。
1966年 『生きがいについて』を出版。バージニア・ウルフの病跡研究のためイギリスへ行く。
1967年 愛生園精神科医長を辞し、非常勤医として診療を続ける。
1969年 ミッシェル・フーコー『臨床医学の誕生』翻訳。
1970年 ミッシェル・フーコー『精神疾患と心理学』翻訳。
1971年 『人間をみつめて』を出版。
1973年 『極限のひと』を出版。
1974年 『こころの旅』を出版。一過性脳虚血発作により入院。芦屋より宝塚に転居。
1976年 津田塾大学教授を辞任。バージニア・ウルフ『ある作家の日記』翻訳。
1977年 『神谷美恵子エッセイ集』Ⅰ、Ⅱを出版。
1978年 『精神医学と人間』を出版
1979年 10月22日、心不全により死去。 
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Author:heban
東京都出身
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