いろいろな人、いろいろなタイプの良心を探りながら、自分の良心の成長を模索する。

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韓国の友だち 1

 2000年の春から韓国の延世大学の語学堂(語学院)に通っていた。延世大学の語学堂と言えば、商社勤務の外国人家庭や国際機関の駐在員の子弟が韓国語を学ぶために集まるというイメージが強かったのだが、実際通ってみるとほとんど日本語圏の人が多かった。日本語圏というのは日本人、在日韓国人・朝鮮人の人たちということだ。もちろんクラスメートにいちいち「ご両親のお仕事は?」などとは聞かないので、もしかしたらそういう家庭もあったかもしれない。しかし私の周りにいた人たちは自発的に韓国語(および朝鮮語、以下韓国語で統一)を学びに来た在日の人が多かったように思う。あとは韓国から養子に出されて韓国語を知らない学生たち(韓国は結構、カナダやアメリカなどに国際養子縁組をしている)、そしてカザフスタンやキルギスタンから来た人たち、中国語を話す人たちも何人かいたように記憶する。
 台湾から来ていた女性はとても親切で穏やかな、そして大変な努力家であった。また確か北京だったと思うが、中国本土から来ていた人も2、3人いた。おそらく裕福な家なのだろう。彼女たちは主張は強いが、それほど頑張って韓国語を勉強していたという印象はなかった。
 私は早く韓国語を習得したくて留学生用の下宿や寄宿舎ではなく、街中の小さなワンルームの部屋に入った。周りはもちろん韓国人だけだ。
 ワンルームマンション(韓国語で“コシオン”といわれる一部屋3畳くらいの小さな勉強部屋スタイルの空間。もともとは司法試験や受験など集中して勉強できるように作られた建物)は、各部屋にベットと机とテレビと小さな冷蔵庫、そして収納ボックスしかない。ご飯は共同の台所で家主がご飯だけは炊飯器で炊いておいてくれるので、自分たちでおかずを持ち寄って食事をするのだ。シャワーやトイレも共同で使うからもちろん男女別のフロアーに分かれている。
 外国人は私だけだったから友だちを作るのは簡単だった。
(続く)
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韓国の友だち 2

 ある日私の向かいの部屋に新しい住人が引っ越してきた。小柄な私とちょうど同じ年代の女性だった。彼女は芸術家志望の人でその時は英語を教えて生計を立てていたが、できれば絵をかいたり、写真やPCで作品を作ったりして、製作活動を通して生活したいという人だった。
 ある日の夕方いきなり停電になった。私はシャワーをしていたのだが、急に真っ暗になりシャワーの音だけになった。すると外で「停電だ」「あ、やっぱり」「ちょっと家主に言わないと」などと声が聞こえてきた。ただの停電だとわかり私も少し安心しシャワー室から出た。
 部屋に戻ったが、この狭い部屋で電気がつかないと何もできないことがわかり、これからどうしようかと途方に暮れていると、新しく来た住人が私に夕飯でも一緒に食べに行かないかという。私は夕飯は食べたけど、暗闇でじっとしていても仕方ないので、一緒に新村(シンチョン)の街にくり出すことにした。
 夏の夜で気持ちのいい風が吹いていた。近くの焼肉屋さんへ行った。店の前の昼間は車を駐車させているスペースに夜になるとテーブルを出して、外で焼肉ができるようにしていた。
 私たちはそこに腰を下ろしサンギョプサル(豚肉)とビールを注文し、私はまだつたないハングルを駆使して話し始めた。何を話したか覚えていないが、簡単な自己紹介をしたのだろう。
 肉をほとんど食べ終わったあたりで、店の中から急に大きな声が聞こえてきた。店のドアはすべて取りはずしてあるので、中の声はそのまま聞こえる。よく見ると店の真ん中を陣取っている20人近いグループのリーダーと思われる男性が立ち上がって何か言っている。
「ぼくらは成均館大学のコーラス部のメンバーです。夕方、歌を歌ってきた帰りにみんなで打ち上げをしています。これからぼくらの歌をお聞かせします!」
 たぶんこんなことを言ったのだと思う。はっきり聞き取れたのは「成均館大学のコーラス部」という言葉だけで後は友だちに説明をあおいだ。そして歌いだしたのが「麦畑(ポリパッ)」だ。日本で言えば赤とんぼのような歌だろうか、のんびりとした昔を懐かしむ童謡で、日本人の私でも郷愁を誘う歌だ。それを何とも美しいハーモニーで歌ったのだ。
 もちろん周りからは拍手喝采。確かアンコールがかけられて2,3曲歌ったように思うが、他の歌は知らない歌であったこともありほとんど覚えていない。逆に言えば「麦畑」が本当に素晴らしかったのだ。私は彼らの歌声に感動し、その勢い余って興奮気味に友だちに、「人生は一生懸命に生きていかないといけないんだよ!」とめちゃくちゃなハングルで訴えていた。
(続く)

韓国の友だち 3

 成均館大学のコーラス部の「麦畑」の歌声は私の心の琴線に触れ、何か温かい思いと同時に「よしやるぞ!」という希望を持って生きるという原始的なエネルギーを私に与えた。街なかの焼肉屋さんで誰とも知らないただ偶然席をともにした人々に、気分がいいから練習に練習を重ねた自分たちの歌声を聞かせたいという粋な思いに私がほだされたのか、語学堂に通い始めるという新しい環境に不安を感じていたからなのか、理由はよくわからないが、サプライズな美しいコーラスの歌声は私をとても興奮させたのだった。
 音楽会と共にお開きという感じになり、友人と私は席を立った。停電はなおったのかどうかわからなかったが家に向かった。
 コシオンはまだ停電中だった。私は毎日たくさん出る宿題を一つも終えていなかった。どうしようかと困っていると、友だちがどこからかろうそくを持って来て、これで屋上で勉強したらいいという。暑い中冷房も聞かないので部屋にはいられない。
 二人はろうそくを持って屋上に上がり、ろうそくの火の下で韓国のことわざや故事成語の穴あき問題を解いていき、そして暗記した。横で友だちは
「それ違う」
「こんな難しいことを勉強するの」
「こんな言葉あんまり使わない」
と好き勝手なことを時折コメントしつつ、その横で私はもくもくと暗記した。
 焼肉屋さんでいっぺんに仲良くなってしまった私たちはそれからずっと、長い付き合いを始めるようになるのだ。彼女がワールドカップの時にも「私の味方」になってくれたチャンスクだ。
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Author:heban
東京都出身
43歳

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